ジャパンシンドローム

100%安全と言われた原発があえなくダウン。収束の時は遙かに遠い。
問題や疑問点があれば、建前に縛られず、改善していくべきであり、万一のための原発停止訓練も、繰り返し実施すべきであったが、絶対安全の建前を掲げているためにそれができなかった。
その結果の現実は、ひどく惨めである。
原発のような複雑系において、絶対に安全と言うことはあり得ない。
そのなかで、できうる限りの安全性レベルを一歩一歩上げていくことが大切であったが、それができなかった。
原発の安全性と言えば、絶対的に安全であるという呪縛が思考力を奪ってしまう。
何故、この国では、他者に対しては、絶対性を要求し、現実感を失ってしまうのだろうか。
また、そのあげく、国民の結集が必要なこの時に内閣不信任案が提出される。

「東日本大震災を巡る対応は取り返しのつかない状況を生んできた。」ということであるが、内閣のどこに、取り返しのつかない過ちがあったのだろうか。

今回の大災害は、未曾有の危機であり、小学校の算数を解くように簡単に片付く問題ではない。情報が行き違うこともあるだろうが、全体としてのポイントを外さなければ、問題とはならない。
それを 一つ一つの些末的な事象をとらえて、難癖をつけ、少しの矛盾を針小棒大にあげつらうことは、不毛なことである。
問題があるのなら、具体的に指摘し、解決策を提案するのが、選良の役割ではないのか。
この異常事態の中で、内閣に完全無欠を求め、概論で非難を重ねる政治家の思考力は、三文週刊誌と同じ枠にくくられる。
自分たちには、大局的判断力が無くても、相手は100点満点でなければならない。権力を手に入れるために国民を犠牲にすることもやぶさかでない。
建前的な大義名分を押し立て、悪いのはすべて他者であり、相手が膝を屈さなければ、一切の妥協を廃する頑迷さ。
内閣にのみ完璧性を要求し、大局を見ず、目の前の党派性で国家を動かそうとする政治家達。
この国は、大正デモクラシーの時代から、党派性優先で国民の信頼を失い、同じ蹉跌を繰り返してきた。大人の論理を忘れ、自己正当化と、他者の完璧性をもとめるのは幼児的思考であり、脱皮できないままである。

このジャパンシンドロームを抜け出すことができるのだろうか。
未来につながる明日は、くるのだろうか。
混乱が続き、国家がさらに劣化していくのだろうか。



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